アフリカの民族衣装展
アフリカの民族衣装展
西アジアの衣装展 各地衣装の袖をめぐる旅
「今月のすぺーすくじら」はトルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナ、レバノン、イラク、イエメンの衣装を袖に注目して展示しました。この地域の初めの一枚は川越に住んでいたトルコ人から譲り受けたコード刺繍のベストでした。西アジアには居住地を追われた多数の人々が難民生活を強いられています。戦禍から焼失をまぬがれた伝統染織はもちろんですが難民キャンプで作られた作品も民族特有の見どころがあり大切に保管していきたいと思っています。
2022年9月10日よりネットギャラリーにて公開いたします
GALLERY




サロンやサリーのような巻衣の東南アジア・インドから西アジアへと注目すると、明らかに布を膨らませた立体的な形態になっていきます。袖の長さや大きさ、三角形に型取られた袖などに合わせて、チェニック風のドレス、丈の長いドレス、ヒダをいっぱいに寄せて履くパンタロン(シャルワール)は上に着るドレス下のペチコートの役割を担っているかのようです。地域における気候風土と布素材、形態が密接に関係していることは当然ですが、より乾燥した空気、寒暖の気温差が激しい大陸性気候の西アジアでは、コートが目立って多く登場するようになります。チョッキもアフガニスタンから現れ、コートの内側もしくは外側に着る上着もあわせて装われるようになります。例えばトルコでは薄いブラウス、チョッキ、コート、上着さらにヴェールを被るという、何枚もの重ね衣(着)となります。
トルコの衣装はオスマントルコ帝国(1453~)の支配下に置かれた国々にも多大な影響を与えました。とりわけ、コートは、どこの国でも「カフタン」と呼ばれ、正装には男女とも欠かせぬものとなりました。また、シリアはギリシャ・ローマ時代から西と東をつなぐ重要な貿易商館の所在国でした。そこでは「金と同じ価値を持つ」とされた絹も早くから知られ、インドの綿布もパルミラ遺跡で発見されています。また貝紫染で有名だったフェニキアのティルなどの港町があり茜の染料が西側諸国へ積み出されていた事、アレッポの町が昔からオリーブ油を原料にした石鹸を作っていた事、南部トルコのウルファの町近くに媒染剤となる明礬石の鉱脈があった事、これらはテクスタイルの歴史を語るには欠くことができない要素です。またそれらの仕事に関わった人々がユダヤ人やアルメニア人であったことも重要です。これらの国を持たない又は小さな国の移民であったユダヤ人・アルメニア人はその道その技術の手仕事に関して、代々の達人であった人々でした。
佐々木紀子氏 第5回講演「東の風、西の風の行き交うところー 西アジア」より抜粋
各地に伝わる袖の形
_edited.jpg)
シリアのクタイフェの舞踏用衣装,各種の緻密な刺繍技法を駆使した三角袖の部分は新たにドレスを作っても繰り返し使われる。(174×132 袖丈95cm)

ヨルダンのベドウィン族の衣装 黒地の貫頭衣の胸、すそ、袖口に装飾と補強をかねて念入りな クロスステッチで刺繍が施される(149×144)

イラン カジャール朝の衣装 インド?更紗のジャケット袖口は細長く肘あたりで縫いどまり細長い袖先は開口しているので折り返して着用(184×55)

トルコ、プルサの絣ウチェテク(トルコ語で三枚の裾)と呼ばれるコート、両脇の深いスリットと裾は袖の開口部と同じ波形のカットが施されている。(161×136 )
_edited.jpg)
イエメン テファマ地方の婚礼衣装,黒い綿繻子地に白、赤.緑の色糸で伺幾何学模様が刺繍されている。袖丈75㎝の大袖の貫頭衣(122×107cm)

レバノンのコート「アバ」、ラクダの毛織物地を上下で繋ぎ左右を折り返し肩を接ぎ、袖口を開けたもので堂々としたアラブの正装(190×158)

こちらもカジャール朝のジャケット、ペイズリー模様の更紗は光沢があり美しい。筒袖は細身だが脇の下に開口部があるので比較的動きやすい(132×55)
_JPG.jpg)