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縞と格子の衣装展

 今回は世界各地の縞と格子の衣装をご覧いただきます。15年前、岩立ミュージアムで拝観以来「いつか川越でも縞の衣装展を企画できたら」と願ってきました。この間、インドネシア、アフリカ、シルクロード、日本など技法や素材が民族で異なる多様な縞衣装を飽きることなく眺めては、これらの縞柄はいつどこで起こり、どのような交流の道をたどって部族の衣装となったものなのかと興味深く思っています。蒐集した衣装が作られた20世紀をさらに遡り17・16世紀の時空間に旅するような楽しい時間でした。次回はひき続きインドネシアの縞をご覧いただきたいと計画しています。それではご来場をお待ちしております。

 2026年7月15日よりネットギャラリーにて公開 

GALLERY 

「昔からあって今も新鮮なストライプとチェック。永遠のベーシックです。初めて織ることを知った人間が最初に試みた文様が縞と格子柄です。経糸を整経する時、色糸を加えただけで経縞が出来、緯糸にも色々と加えれば格子になります。最も簡単な技法ですが無限の文様が出来る、永年、庶民の普段着として、又、人目を引く大胆な意匠として愛されてきました。直線という限られた技法の制約で返って余分なものが削ぎ落され、強い個性と同時にそのシンプルさが他を引き立てました。民族が受け継いできた歴史ある固有の美しい縞と国籍のない、何処にでも使われた縞があります。

 初めてインド北部のヒマラヤ山麓の村を訪れた9月、美しかった紅葉の日々が突然小雨の降る冬の到来に外の景色はグレーに沈み寒さに震えて雨宿りしたレストラン、窓の外を行き交うウールのパトゥ(巻衣装)を纏った女性に目を奪われました。厚手のホームスパンのグレーに大柄の格子、両端に真っ赤な縁取り、北国の素朴な格子にこちらの気持ちも温かくなりました。(中略)

 日本にも美しい縞や格子の織物は木綿の普及と共に増え、江戸時代、写楽の浮世絵等に粋な着物姿が見られます。織元に残された縞帖には数限りないサンプルが集められ縞にはそれぞれ美しい名前が付けられている事も驚きです。いつかこの縞と格子の布だけを集めて展示をしてみたいと思っていました。」                  

2010年秋 岩立ミュージアムから届いた縞と格子展の案内から抜粋

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​各地域の縞・格子衣装

​アフガニスタン タジク族

 タジク族やウズベク族など中央アジアの遊牧民族の男性コート「チャパン」です。タジク族はペルシャ、イラン系で寒冷地を遊牧する民族でアフガニスタンでは少数民族です。2002年アフガニスタンの復興支援会議で来日したカルザイ議長が羽織っていた緑縞のコートが注目され「カルザイコート」と呼ばれるようになりました。カルザイ氏はアフガニスタンの最大部族でタリバーンの多数をしめるパシュトゥーン族の出身ですが北部の遊牧民の衣装を着用したことが和平交渉に大きな役割を果たしたといわれていました。パシュトゥーン族の男性は横縞模様の幅広絹をターバンとして頭に巻き出身部族をアピールします。

​ブータン

 ブータンは小国ながら独立を維持するために、独自文化を守ることを国是として自宅以外では民族衣装の着用が義務付けられています。女性は「キラ」と呼ばれる一枚布を、男性はどてらのような前合わせの温かい衣装「ゴ」を着用します。「織物の国」ブータンで使われている手織り機は、伝統的な織り機「タシン」(地機・パンタあるいはポンタとも呼ばれる)と、チベット伝来の「ティタ」(高機)です。平織物、経浮紋織などはタシンで織られ、綾織物の大部分はティタで織られます。タシンには輪の状態になる環状整経された経糸が三角形に掛けられます。白い格子生地は毛の平織ポンチーノ(パンツィ)と呼ばれる夏用のゴに仕立てられます。赤茶の格子綾織「マタ」は冬用のゴやキラとして使用されている。とブータン研究者の山本けい子先生に教えていただきました。

​フィリピン ガッタン族

 ルソン島北部の山岳地帯に生活する「ガッダン族(Ga'dang)」の衣装です。ガッダン族は、農耕・狩猟・漁業・採集を中心に生活を続けてきた少数民族であり、手工芸・染織技術に秀でた民として知られます。男性用の盛装肩掛け”タペット“は、三十数cm幅で織られた木綿経縞地三枚が接ぎ合わされ、ビーズ装飾の組紐で留められた伝統衣装です。布幅(展開時)85cm、着丈(全長)113cm(三枚接ぎ)です。

 腰巻帯”ディノンガス(dinonggas)は、緯14cm巾・経2m半で織られた帯の両端にビーズの織り込みと刺繍、端部分には組紐状のかがり縫いが施されたとりわけ手の込んだものです。2012年の春、長年憧れていたこの美しい縞の衣装を入手することが叶いフィリピンの縞衣装蒐集が始まりました。

​アフリカ ハウサ族

 ナイジェリアをはじめとするギニア湾沿岸諸国で着用された縞の貫頭衣「トプ」「ブブ」です。これらの地域では織ることは神から授かった技術であり、織機は神聖な道具、男性の専業とされました。このため女性は「織り」をとりまくすべての作業から遠ざけられ、こうした織物に関するタブーが独自の技術を長く保持してきたことに繋がりました。織機の幅は狭く一般に約10cmから20cmで、部族によっては3cm未満のものもあるようです。対して経糸は極めて長く数10mを超えます。このとても大きなローブはナイジェリア、ハウサ族の身分の高い男性が着用したものです。8cm程に細長く織った布を何枚も接ぎ合わせ、総裄280cmの巨大な貫頭衣に仕立てられています。この立派なロープのデザインは19世紀初頭にイスラム教の導師がこの地を征服した後、イスラムの影響を受けた様式のものとのことです。246×113

​川越唐桟

 インドからもたらされた縞木綿はエキゾチックな縦縞が粋で江戸町人の人気を博しました。明治になり川越の商人がイギリスからの輸入糸で川越の機屋に唐桟を織らせ、良質で安価な川越唐桟は川唐の愛称で爆発的に売れ川越の町は織物市で賑わいました。昭和初期、機械化に乗り遅れ、さらに洋装ファッションの流行で川唐は途絶えました。時を経て1986年に市民の唐桟愛好会が発足して現在も川越博物館で川唐の染め織り継承活動をされています。展示中の川唐着物は会員の井口久恵さんが寄贈してくださったものです。公募展で受賞されるほどの実力者です。また「平成の川越唐桟、上下巻」折本は会員の美しい手織り唐桟が一枚一枚貼り付けされ限定販売されたものです。愛好会の活動記録と同時に貴重な縞見本です。一方昭和50年川唐が入間市の西村織物で復元され新作も含め100種類にも及ぶ唐桟が豊田織機で生産販売されました。西村さんは90歳まで仕事をつづけられ工場閉鎖後も自宅敷地内のアトリエを「野田双子織りの会」に提供して指導に尽力されました。入間市アミーゴでの展示販売会には会員の皆さんの力作が所狭しと並び、どれを購入しようか迷います。引続き両会の活動に注目しています。

 参考資料

​ 「縞のミステリー」竹原あき子著 光人社

​ 「世界の伝統服飾」文化学園服飾博物館

 「小江戸ものがたり」第16号 特集川越唐桟  

​ イオライフマーケットHP 

 「ブータンの染と織」山本けいこ著 染織と生活社

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