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​憧憬のインドネシアⅣ「ジャワ島」

 憧憬のインドネシア、シリーズ4回目はいよいよジャワ島を巡って展示してみました。ジャワ更紗のコレクションは「クドゥウニの花更紗」、川越蚤の市での出会いが始まりでした。それから15年の歳月を経て気が付けば伝統的で多様なジャワ更紗をコレクションすることができました。今では見つかりにくいと言われている手間暇かけたものが多く集まり幸運なことと感謝しております。

 2025年5月15日よりネットギャラリーにて公開 

GALLERY 

   長年ジャワ更紗製作に携わり展示発表されてこられた梶原みちさんの作品「ワヤン」をコレクションしたのは昨年五月でした。展示会はこれで最終回とのことで惜しまれますが、有り難いことに以前から憧れていた「ワヤン」を自宅に飾り日々パワーをいただいています。以下は作品に添えていただいた説明書からの抜粋です。

 

 インドネシアには古来より伝わる歴史的伝統工芸が多くあり、その中でも特に格調高く伝承芸術として受け継がれたものがジャワ更紗となっております。ジャワ更紗の魅力の第一はその線の表情の豊かさにあります。ある時はのびのびと、ある時は力強く、またある時は不思議な立体感さえ感じさせる線の表情は手描きに使用するチャンティンとマラム(蝋)との組み合わせによって生まれるものです。今日では、インドネシアでもこの布のような柄と色調のジャワ更紗は「古典」と呼ばれるようになっています。古い柄に幾何学的なパターンや抽象化された動物や植物などが多いのは、偶像や物の形を描くことを禁じた回教の影響をうけているためでしょう。更紗を意味する≪バティック≫という言葉のティックは点のこと、点や点に近い線は印象派の絵のように太陽の光を表しているのです。

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​ジャワ更紗の産地と特徴

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中部ジャワのソロ(スラカルタ)とジョグジャカルタではジャワ更紗の伝統的な模様と色彩を今なお、かたくなにまもり、ヒンドゥージャワの霊長ガルーダの翼、霊山、寺院や鳥と植物で構成されたスメン模様があります。S字形を基本としたパラン(折れた刀)文様はヒンドゥージャワ以前にまでさかのぼるとみられ、色彩は茶褐色(ソガ)と藍の2系統の色が主なもので中部ジャワ様式の象徴的な色彩と位置付けられています。

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 ソロのススフナン王と王妃の儀礼用腰布、ドドット・パングン・ドラッグです。二枚の布を縫い合わせた大型布の中央を絞りで菱形に染め残し周辺に金箔のみで動植物文様を表現した金更紗です。いわゆる蝋防染で文様を描くバティックの技法はどこにも用いられていないとのこと。同様のものをマンクネガラン王宮での婚礼に王子と王女が着用している写真があります。

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日本軍がインドネシアを占領していた数年の間に日本軍政に協力する「ジャワ奉公会」が結成され、その協賛活動のひとつとして日本の友禅染のような腰衣がプカロンガンの工房で染められていました。当時すでに枯渇していた貴重なキャンブリックを使い熟練した女性たちによって描かれたもので「カイン・ホーコウカイ」と呼ばれています。​

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カイン・ロック・チャンと呼ばれる絹のジャワ更紗がかなり古くから作られていたようです。ロック・チャンは中国の福建省南部での絹布を示す名称で、中国からもたらされた絹地を使用して福建省出身の華人が主に製作に携わっていたことに由来するようです。同様の絹更紗がジャワ島北岸のレンバンでも作製されバリ島で着用されていてバリ島ではカイン・レンバンと呼ばれています。

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ソロ(スラカルタ)はバティック発祥とされる王宮があったところで、ソガと呼ばれる茶色使いの階級を意識した物が多いようです。ソガと黒に近い藍だけで伝統の禁制綱斜格子柄に大輪の花と極楽鳥が描かれています。綱格子の中もモチーフを変えた手間のかかる描きで、大柄なモチーフをバランス良く配置してスケールの大きい格調高いカインパンジャンです。布もカインクルタスのシャリ感のある布が使用されています。

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この腰巻は「ティガヌグリ」と呼ばれるものです。茶褐色は、ソガ染料を用いて中部ジャワのソロで、青色は、藍を用いてジャワ北岸のプカロンガンで、赤色は、茜を用いてジャワ北岸のラスムを巡回して染められた布であることから「三国巡り」(現地語でティガは「3」、ヌグリは「国」)と呼ばれています。深く美しい天然染料で染められ、表側と裏側の両面に繊細な文様が手描きされています。

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ジャワ島のラスムで作られ、スマトラ島ランプンの女性用の肩掛けとして使用されていました。敬虔なイスラーム商家から譲り受けたものとのことでした。ラスムの赤色は血のような赤で、赤を作り出す技術は守秘とされていたので他の地域から赤染めだけ注文されることがあったほど優れています。

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綿と藍を栽培し、手紡ぎ手織りの厚手の木綿布に蝋を置いて藍で染めた更紗が東部ジャワ北岸のトゥバンの後背部の田園地帯でつくられて、腰巻=サロン、腰衣=カインパンジャン、乳飲み子や荷物を運ぶための抱え布=ケンドンガンとして使用されていました。それぞれの村ごとに文様が形成されて、こうした姿が近世以前の本来のバティック生産の在り方であったのではないかと言われています。

 参考資料

 図録「インドネシア更紗のすべて 」監修 戸津正勝 

​ 図録「インドネシアの更紗展」監修 吉本忍

 Indonesesian Textiles Symposium 1985   

​ BATIK DESIGN ThePepinPress

 

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